モウズイカの花紀行

花目的で東北の山を歩いてます。

初期紅葉の栗駒山・後編(2020年9月29日)

(本頁は「初期紅葉の栗駒山・前編」の続きです。)

草原の稜線を辿ると、やがて目の前にモンサンミッシェル(仮称)が現れる。

モンサンミッシェル峰(仮称)







手前の草原。真夏にはキンコウカが咲いていた。




その頂き、岩の上からの眺めはこの稜線で一番だ。
神室連峰や虎毛山などの眺めも好いところだが、
今日はあいにく雲を被っていて見えない。
それでも近場の紅葉や草紅葉は十分素晴らしい。

モンサンミッシェル峰(仮称)の頂きからの眺め



モンサンミッシェル峰(仮称)の頂きから隣の秣岳を望む。



今回は「草紅葉」ばかりやたらと多いかもしれないが、これでラスト。

秣岳とモンサンミッシェル峰(仮称)の間(鞍部)の湿原。






今回、見た一連の草紅葉の中ではこの場所の色合いが一番良かった。

栗駒山は真っ赤に染まる樹木紅葉が人気だが、湿原や草原の草紅葉はそれより一足早く綺麗に発色する。

なおこの湿原のへりには針葉樹、アオモリトドマツが生えている。




アオモリトドマツは東北の高山では一般的な針葉樹だが、鳥海や月山など日本海側の高山には無い。
奥羽山系では八甲田や八幡平、森吉山、蔵王、吾妻山には豊富なのに、
何故か中間の秋田駒ヶ岳以南と蔵王より北、約100キロにわたる高山には無いとされていた。

ところが割と最近、栗駒のこの場所にだけ残っていることが判った。
その意味ではこのアオモリトドマツ疎林はとても貴重な存在だ。

何故ここにだけ残ったのだろう。
秣岳に登る途中からモンサンミッシェル峰方面を振り返ると、この貴重なアオモリトドマツ疎林の全体像が見える。




秣岳山頂からの眺めは須川湖が真下に望めるほかは格別良くない。

従って須川湖の写真を撮った後は足早に過ぎるのが常だ。途中、今まで見えなかった秋田側の風景が広がって来る。
秣岳山頂から須川湖を見下ろす。




柿の種号が見えたー!!




上の写真に格別深い意味は無いが、
早朝、湖畔に停め置いた自車(柿の種号)がちゃんと有ることが確認できると何だか嬉しい。

秋田側の風景。主に湯沢市、旧・皆瀬村の眺め。
手前斜面のトラバース道は岩盤道で歩きにくい(ところどころロープ有り)。



小さな鞍部を過ぎ、岩盤が剥き出しの斜面をトラバースしながら下って行く。
振り返ると秣岳がピラミッドのような姿に聳え、その左奥には栗駒山の姿が。
今日はずっと雲がかかっていたのに
下山する今頃になって晴れるとは!!
なんか恨めしい気分のままブナの樹海に突入した。

途中から秣岳を振り返る。



雲の取れた栗駒山と展望岩頭



今回は山を下りた後、須川湖近くのシラタマノキ湿原にも寄ってみた。

シラタマノキ湿原、バックは剣岳




この湿原は、珍しいコケ、ウカミカマゴケの泥炭上に発達したもので、
私が子供の頃には、たしか「ツンドラ」と呼ばれていたが、
いつの間にかシラタマノキ湿原などというめんこい名前に変わった。
肝心のシラタマノキの方は既に落果が進んでおり、一面の白ではなかったが、
アップで実を写すには十分すぎるほどの量だった。
ここにはツルコケモモも多く、赤い実がまだ残っていると思ったら、部分的に紅葉した葉だった。


シラタマノキ群生



シラタマノキ                                                                                                       ツルコケモモ
 



次は全くどうでもいいプライベートな話。

須川湖に留め置いたマイカー柿の種号に乗り込んだところ、odometerがもう少しで十万キロに差し掛かっていた。
このままだと旧皆瀬村の国道398号線を走っているところでその瞬間になってしまう。
割と交通量が多い道路なので突如、道端に停めてメーターを撮影なんていう芸当はちょっと難しそうだ。
よって途中から交通量の少ない県道51号線に入り、その瞬間を迎えた。

 


撮影後、その県道沿いのある地点から栗駒山を見た。
栗駒山は岩手、宮城、秋田三県の県境に聳えているが、
秋田側からは前山のかげになってしまい、
その姿を眺めることはなかなか難しい。

ただしある地点、この県道沿いの牧草地の山頂?から見えることを知っていたので、
折角だからとその地点に寄ってみた。
あいにく栗駒山本体にはまた雲がかかってしまったが、前衛の秣岳が意外と優美な姿で聳えていた。

次の写真はその反対側にある湿原、苔沼。
この湿原は語ると長くなるので、今回は割愛するが、個人的には思い出のある場所だ。


秋田側から見た栗駒山(秣岳)。




苔沼



今回の栗駒山は湿原や草原などの草紅葉が主体の山行きになった。

以上。